生成AIの進化がもたらす「模倣社会」の到来
創造性の終焉と「もっともらしさ」の支配
要はですね、今の生成AIって、めちゃくちゃ優秀な「モノマネ機械」なんですよ。過去の情報を食わせて、それっぽい出力をする。で、それがすごく自然に見えるから、人は「これも創造だ」と勘違いしちゃう。でも、実態はただの過去の平均値の延長線上なんです。
つまり、創造っていうのは「今までになかったものを生み出すこと」なんですけど、AIがやってるのは「今までにあったものをそれっぽく再構成してるだけ」なんですよね。人間が作るアートや音楽の中には、意図的に外したり、矛盾を内包したりして、意味の境界を揺さぶるものがあるんですけど、AIにはそれができない。要は、AIの創造って、「もっともらしいけど、どこかで見たことある感じ」なんですよ。
で、そういう出力がどんどん増えてくると、世の中が「もっともらしさ」で満たされるわけです。そうすると、「新しさ」とか「違和感」とかに敏感な人が減ってくる。なんか違うんだけど、言語化できない違和感って、本来は創造の種なんですけど、そこを感じ取る能力が鈍っていくんですね。
クリエイターは「選ぶ人」になる時代
昔はね、アーティストってのは「何を作るか」を考えて、それを形にする技術も持ってたわけですよ。でも今は、AIが素材をいくらでも出してくれるから、作るよりも「選ぶ」ことの方が重要になってきてるんですよね。
つまり、クリエイターっていうのが、ある意味でDJに近づいてきてる。音楽の世界では昔から「サンプリング文化」があって、既存の音源を組み合わせて新しい音楽を作るっていう手法があるけど、それが今は映像や文章、あらゆるジャンルに広がってる。で、生成AIはこのプロセスを爆速でサポートしてくれる。
要は、未来のクリエイターって、全員が「編集者」になっていくんですよ。自分の感性で「これがいい」と思ったものを選び、それを組み合わせる能力が価値になる。逆に言うと、「何も選ばない人」は淘汰されていく。
「間違い」が価値になる逆説的な世界
正解主義の終焉と「誤用」の可能性
で、ここで面白いのが「誤用」の話なんですよ。徳井直生さんも言ってましたけど、本来の使い方じゃない方向にAIを使った方が、意外と面白いものができたりする。要は、「正解を求める使い方」よりも、「ハズす前提での使い方」が創造性を刺激するって話です。
たとえば、画像生成AIに「バグらせたプロンプト」を入れると、意図してない変な画像が出てきたりする。でも、それがむしろ新しいアイデアの種になることがあるんですよ。AIが「ミスる」ことで生まれる偶然性って、人間の発想にとってはめちゃくちゃ貴重なんです。
逆に、AIに正しくきれいなものだけを出させようとする文化が広がると、どんどん均質な世界になる。みんなが同じような「美しさ」や「正しさ」を求めて、違和感や個性が排除される社会になっていく。そうなると、「違いを生み出す人」が評価されなくなるんですよね。
DIY AIと個人表現の再構築
徳井さんがやってる「Neutone」ってプロジェクトもそうなんですけど、自分だけのAIを作って、それで表現をするっていう方向性は、結構未来っぽいなと思ってます。いわゆる「パーソナライズドAI」ってやつですね。
要は、自分の声や楽器、発話スタイルをAIに学習させて、唯一無二のツールとして使う。それって、自分の分身みたいなもので、今までの「汎用AI」とは全然違う使い方なんですよ。大量消費されるツールから、個別最適された創造パートナーへの進化、っていうと聞こえはいいけど、結局それも一部の人しか使いこなせない。
でも、そういうDIY的な姿勢が一般化してくると、逆に「みんな違って当たり前」みたいな世界になるんですよね。で、そこにこそ創造の余地がある。そういう意味で、AIとの付き合い方って、「依存する」よりも「どう使い倒すか」って視点が大事なんですよ。
未来社会は「消費するだけの人」と「使いこなす人」で分断される
アウトプットの格差が広がる社会
AIの普及によって一番起きるのが、「誰でもそれっぽいものが作れる」っていう幻想の拡大なんですよ。で、それに乗っかって、安易に「作った気になってる人」が量産される。でも、実際に社会で評価されるのは「人が見て面白いと思うもの」だけなんですよ。
つまり、「AIで文章を書きました」「AIで絵を描きました」ってだけでは、もはや価値にならない。そこに何をプラスするか、どう違いを出すかが求められる。で、それをできる人と、できない人の差がめちゃくちゃ広がる。要は、「使い方のセンス」で格差が生まれる時代になるんですよね。
しかも、AIが発展すればするほど、「考える必要がない人」が増えてくる。で、その分「考える人」の価値は跳ね上がる。つまり、思考停止する人たちは消費者として生きていくしかなくなる。
人間らしさが「ノイズ」になる未来
非効率と感情の価値が逆転する
AIが当たり前になると、「効率的であること」が標準になってくるんですけど、逆に言うと、「非効率なもの」に価値が出てくるんですよ。人間ってそもそも非合理な生き物なので、感情とか矛盾とか、理屈じゃ説明できない部分に人が惹かれたりするんですけど、AIはそれを持たない。
つまり、感情的なミスや矛盾が「人間っぽさ」として評価される時代になる。例えば、すごく手間暇かけて作られた料理とか、職人が一つひとつ手で仕上げる工芸品とか、そういう「非効率なモノ」に、人は価値を見出すようになる。
これって、ある種の逆説なんですよね。AIが完璧を目指すからこそ、不完全な人間に価値が戻ってくる。そうなると、人間の仕事って「ミスをすること」だったり「予測不能な反応をすること」に変わってくるかもしれないんですよ。で、それってAIには絶対にできないことなんです。
無意識の再発見と「違和感」の再評価
人間が本来持っている「無意識の感覚」とか「言葉にならない直感」って、AIが出すロジカルな答えとは全く違う領域なんですよね。で、今の社会って、効率とか論理とか「正しさ」に偏りすぎて、そういう曖昧なものを排除しがちなんです。
でも、その「よくわからないけど引っかかる感じ」こそが創造の出発点になるんですよ。例えば、音楽で言うと、コード進行が理論的には合ってないけど、なんかグッとくる、とか。そういう違和感って、データベースを学習してるだけのAIには再現できない。
つまり、「違和感を感じ取るセンサー」を持ってる人が、今後ますます重要になる。で、そういう人たちは「なんでこれがいいのかわからないけど、好き」とか「説明できないけど惹かれる」といった感性を武器に、新しい文化を作っていくんですよ。
「AIに任せること」と「自分でやること」の再定義
時間の使い方が人間性を決める
今後、AIがやってくれることが増えると、人間の可処分時間ってめちゃくちゃ増えるんですよ。で、その時間を「何に使うか」で、その人の価値が決まる時代になると思うんですよね。
つまり、AIが全部やってくれるから「楽になった」じゃなくて、「じゃあ、空いた時間で何をするの?」って問われる時代になる。で、「特に何もしない」って人は、どんどん退屈な存在になっていく。逆に、「自分で何かを始める」「表現する」人が目立つようになる。
例えば、動画を作る、文章を書く、絵を描く、旅に出て発信する、なんでもいいんですけど、「自分でやる理由」を持ってる人は強いです。AIが出した答えに満足しないで、「自分なりの視点」を加えられる人が、これからの時代を引っ張っていくと思います。
学び方の変化と知識の意味の再構築
もう一つの大きな変化は「学ぶ」という行為の意味が変わってくることですね。昔は知識を覚えることが価値だったけど、今はググれば何でも出てくる。で、これからはAIに聞けば答えてくれる時代。
じゃあ、学ぶ意味って何なの?って話になるんですけど、それは「問いを立てる能力」なんですよ。AIは答えを出すのは得意だけど、「何を問うべきか」は人間にしか決められない。
つまり、優秀な人って、「良い質問ができる人」になるんです。答えの価値が下がる一方で、問いの価値が上がる。だから、教育の現場でも「覚えること」じゃなくて「考えること」「疑問を持つこと」が中心になるべきなんですよね。
で、これって日本の教育と相性悪いんですよ。詰め込み教育で「正解を当てる力」を育ててきたから、そもそも「自分で問いを作る」って発想が育たない。結果として、AI社会に適応できない人が増える。
未来は「主体性がある人」だけが生き残る社会
受け身の人はAIの奴隷になる
結局、AIをどう使うかって、「主体性があるかどうか」に尽きるんですよ。自分で目的を持って、AIをツールとして使いこなす人は強い。逆に、「AIに聞けば何でもできるから、自分は何もしなくていいや」って人は、完全にAIに支配される側になる。
そうすると、未来の社会って、「AIに命令する人」と「AIに命令される人」に二極化していくわけですよ。で、この格差はめちゃくちゃ大きくなる。見た目は似たような生活をしてても、「思考の質」で大きく差がついてくる。
今のうちから、自分で考える習慣とか、自分なりの問いを持つ癖をつけないと、マジでただの「AIのオペレーター」になっちゃうんですよね。で、それって結局、「自分の人生を生きてない」ってことなんですよ。
AIとどう付き合うかで「人間の定義」が変わる
最後に一番大きな話をすると、AIが人間の創造性や思考を補完するようになると、「人間って何なの?」っていう問いに戻るんですよ。要は、「自分で考えること」こそが人間の証明だったわけで、それをAIが代替できるようになったら、人間の定義が変わるんです。
で、その時に「自分は何のために生きてるのか」とか、「自分だけの価値って何だろう」とか、そういう哲学的な問いが、すごくリアルな問題になってくる。そこに向き合えるかどうかが、今後の人生の満足度を決めるんじゃないかなと。
要は、「AIがあっても、自分は自分でいられるか」っていう話です。主体的に生きる人だけが、本当の意味でAIと共存できる社会になると思います。
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