AIが競馬を予想するという世界の皮肉
人間の「勘」と「経験」が駆逐される未来
要は、AIが競馬の予想を始めたって話なんですけど、これってかなり象徴的な出来事なんですよね。今までは「競馬新聞を読み込んで、展開を想像して、馬場状態と騎手の調子を見て…」みたいな、いわば“勘と経験”の世界だったわけです。でも、AIってそこに統計とロジックを持ち込むんですよ。
つまり、「こういう条件のときに勝ちやすい馬はこういうタイプ」とか、「馬場が湿ってたらこの血統は弱い」とか、データをもとに機械的に判断する。で、それが人間の勘より当たるようになったらどうなるか? 人間が競馬を楽しむ余地って、減っていくんですよね。
「予想屋」の存在価値がどんどん無くなる
例えば、昔は競馬場に行くと「予想屋」っていましたよね。マイクで叫んで、「この馬がくるぞ!」って熱弁ふるってる人たち。でも、AIが予想して、それが実際に高確率で当たるってなったら、そういう予想屋の仕事ってなくなるわけですよ。
で、ここが面白いところで、人って「自分の判断で選びたい」って思う生き物なんですけど、実際は「当たりたい」って欲の方が強いんですよ。だったら、確率の高いAIの予想に乗っかる方が合理的ですよね。でもそれって、競馬の“楽しさ”を奪ってるって話でもあるわけで。
社会全体が「確率思考」に移行していく
ギャンブルだけじゃなくて、人生すら予測される
で、AIが競馬を予測できるようになると、他の分野も当然そうなってくるんですよ。たとえば、どの大学に行けば年収がいくらになるかとか、どの職業を選べば40代で失業する確率が低いかとか、そういう「人生予測」が当たり前になっていく。
つまり、将来の選択肢が「データに従え」みたいになって、人間の自由な意思決定が形骸化していく可能性があるんですよ。で、「成功したいならこのルート」「失敗したくなければこの選択」ってなると、結果的にみんな同じような人生を歩むようになるんじゃないかと。
「感覚で生きる人」が淘汰される社会
これまでの社会って、「勘で動く」「直感を信じる」って人も生き残れたんですよね。運がよければ一発逆転もあった。でも、AIがどんどん「正しい選択」を提示してくれると、そういう「なんとなく生きてる人」って、どんどん厳しくなる。
で、極端な話、AIが「あなたはこの職業向いてません。成功率は3%です」って言ったら、それを見て挑戦を諦める人が出てくるわけです。だから、将来は「AIがOKを出したことしかできない社会」になっていく可能性もある。
競馬が象徴する「遊びの世界の機械化」
楽しみ方が変わる=「勝ち方」が全てになる
もともと競馬って「遊び」だったはずなんですよ。馬が好きとか、騎手のファンだとか、そういう“非合理な楽しみ方”もできた。でもAIの登場で、「どの馬を選べば金になるか」だけが価値になっちゃうと、純粋な娯楽としての競馬は機能しなくなる。
要は、ゲームとしての競馬から、投資ツールとしての競馬になっていく。で、それって結構つまらない未来だと思うんですよ。だって、毎回AIの言う通りに賭けて、それで当たったとしても、そこに“自分の選択”はないわけですから。
「直感を信じた一発」が笑われる時代に
たぶん近い将来、「え?そんな馬に賭けたの?AI予想見なかったの?」って言われるのが当たり前になると思うんですよ。で、それって今のSNS文化とも相性が悪い。
間違った選択をしたらすぐに叩かれる時代に、「自分の勘を信じて外れました」は通用しない。だから、みんながAIの“正解”に乗っかって、失敗しないように振る舞う。そうなると、競馬に限らず、どんな分野でも「チャレンジ」って行動自体が減っていくんですよね。
情報格差から「AI格差」の時代へ
AIを使いこなせるかどうかで人生が変わる
今までは「情報をたくさん持ってる人が強い」って時代でしたけど、これからは「AIをどれだけ上手に使えるか」が差になるんですよ。つまり、AIの出した情報を鵜呑みにするんじゃなくて、そこに“人間の判断”を加えられる人が強い。
で、これは競馬だけの話じゃなくて、教育とか仕事でもそうです。AIが示した最適解をそのままなぞるだけじゃなくて、「その先にどう活かすか」ってところで差がつく。だから、AIと一緒に考える力を持つ人間が生き残って、そうじゃない人は淘汰されていくわけです。
AIと「娯楽の均質化」の未来
みんな同じ楽しみ方しかしなくなる
AIが「勝てる方法」を提示するってことは、結局みんなが同じ選択肢を取るようになるってことなんですよね。競馬に限らず、映画、音楽、ゲームなんかも、「AIがオススメする作品」ばかりがヒットして、それ以外のマイナーな作品が埋もれる。
これって、YouTubeとかSpotifyのレコメンド機能でもう起きてるんですけど、「似たような傾向のコンテンツばっかり見てる」状態になってるんですよ。AIが正解を提示すると、その“正解の枠”から外れる行動が減る。つまり、人間の好奇心が奪われていく未来が見えてくるわけです。
「偶然の発見」が減っていく
昔だったら、ふらっと入った本屋で偶然見つけた一冊の本に人生変えられた…みたいな話ってあったじゃないですか。でも今は、Amazonのレコメンドとか、ランキングの上位ばかり見られるから、そういう偶然が起きづらくなってる。
同じように、競馬でも「偶然選んだ馬が勝った」とか「よく知らない馬を応援してたらG1勝った」みたいな“ストーリー”がなくなる。これはエンタメ全体に言えることで、どこを見ても「正解」ばかりで、面白さが減っていくんですよ。
ギャンブル文化の再定義
「勝ちたい人」と「楽しみたい人」の二極化
今後、競馬に限らずギャンブル全体が、2つの層に分かれていくと思ってるんですよ。「とにかく勝ちたい人」と「過程を楽しみたい人」。前者はAIを使い倒して利益を最大化しようとする。後者は“あえて”AIを無視して自分の感覚で楽しむ。
ただし、前者の方が圧倒的に効率的だから、市場としてはそっちが大きくなる。で、「感覚派」が生き残れる余地はどんどん狭くなる。つまり、AIを使わないことが“趣味”としての贅沢になる時代が来るわけです。
「AI禁止エリア」みたいな空間が必要になる
将来的には、AI予想が禁止された「人間だけの予想エリア」みたいな競馬の楽しみ方も出てくるんじゃないかと思うんですよ。例えば「AI持ち込み禁止レース」とか、「データ非公開で予想するイベント」とか。
これって、囲碁とか将棋の世界でもあって、AIが強くなりすぎたからこそ「人間らしさ」ってものが逆に価値を持つようになる。だから、競馬もそういう“人間限定の遊び方”が生まれてくると思いますね。
社会が目指すべきAIとの距離感
AIの「使い方」を教育すべき時代
結局、AIって「使い方」がすべてなんですよね。間違った使い方をすれば、可能性を狭めるし、正しく使えばむしろ新しい可能性が開ける。でも、今の教育って、AIをどう使うかって教えてないですよね。「プログラミング教育」みたいな表面的な話しかしてない。
本当に必要なのは、「AIがこう言ってるけど、自分はこう考える」っていう対話力。つまり、“疑う力”なんですよ。AIの答えをそのまま信じるんじゃなくて、自分の価値観と照らし合わせて判断する。そういう教育ができるかどうかが、将来の社会の分かれ道になる。
AIに振り回される人が増える未来
AIが予想した馬に乗って外れたら、「AIが悪い」って言う人が出てくるんですよ。でも、それって結局“自分で考えてない”から起こることで、依存してるだけなんですよね。で、そういう人が増えると、AIの言うことが「正義」になっちゃう。
これはもう宗教に近い状態で、「AIが言ったからそうする」っていう思考停止の人が増えていく。で、そういう人たちが集団化すると、社会って結構ヤバくなるんですよね。だから、AIを正しく使える人と、振り回される人で、どんどん格差が広がっていく未来が見えてくるわけです。
ひとりひとりが「考える」時代へ
正解があることがつまらない、という価値観
僕が思うに、今後は「正解があるってことがつまらない」って感覚を持てる人が強いと思うんですよ。AIが出す正解に飽きて、「自分で見つけたい」「自分だけのルールで遊びたい」って思える人の方が、人生楽しめるんですよね。
競馬でも「当たるかどうかより、自分で選んだ馬がどう走るかを見るのが楽しい」って感覚。それを持てる人が、最終的にはAIの時代でも一番幸せになれると思います。つまり、答えよりも“選び方”に価値を見出せる人間が、これからの時代には必要なんですよ。
AIの時代でも「バカな選択」が生き残る
そして最後に、これは皮肉じゃなくて本気で言うんですけど、「あえてバカな選択をする」ってのも、これからは一種の戦略になるんですよね。だって、みんなが合理的になると、非合理が目立つわけですから。
誰もが「この馬が有利」と思ってる中で、誰かひとりが「なんとなくこの馬好きだから買った」とか、「縁起がいいから13番にした」とか、それが逆に価値になる。そういう“ムダな行為”ができる人間の方が、AIに振り回されずに生き残るんじゃないですかね。
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