インドがAI覇権を握る未来と日本の生存戦略

AIビジネス動向

インドがAIの覇権を握る日が近づいてる件

OpenAIとMetaの動きは、ただの提携話ではない

要は、OpenAIとMetaがインドのリライアンスと組んでAI分野で何かやろうとしてるって話なんですけど、これって単なる技術提携とかビジネスの拡大ってレベルの話じゃないんですよね。今後数十年で、世界の労働構造とか情報インフラが根本的に変わるターニングポイントになるかもしれないんですよ。

リライアンスって、インド最大のコングロマリットで、通信会社のジオを持ってて、データセンターもガンガン建ててる会社です。で、そこにOpenAIやMetaが目をつけたってことは、「もうインドでAIインフラを作っちゃえばよくね?」っていう発想になってるわけです。

そうなると何が起きるかというと、アメリカとか欧州が今まで独占してたAI開発の主導権が、インドに移る可能性があるんですよね。

AIが安くなると何が起きるか?

で、記事の中に「ChatGPTの料金を20ドルから数ドルにするかも」って話が出てたんですけど、それってつまり、「もう誰でもAI使えますよー」って話になるんですよ。今は月額20ドルって言われると、ちょっと躊躇する人もいると思うんですけど、数ドルだったら学生でも普通に払えるレベルですよね。

これって結局、AIが一般人の生活にどんどん入り込んでくるってことです。レポート書くのもAI、就活のES書くのもAI、営業のメール作るのもAI、ってなると、じゃあ人間は何をやるの?って話になります。

要は、「思考する時間が不要になって、ただの入力者になる人」が増えるってことなんですよ。で、それってつまり、人間の差が「どのAIを使うか」って部分にしか出なくなる。能力じゃなくて、ツールの選定能力が全てになるんです。

英語圏のホワイトカラーが狙われる理由

アウトソーシングの次は「AIソーシング」

昔、コールセンターの仕事とかソフトウェア開発って、アメリカや日本からインドにアウトソーシングされてたじゃないですか。でも今度はそれすらAIに取られつつある中で、次の波として「AIを使った仕事をインドから提供する」って流れになるんですよ。

インドの強みって英語が話せる人が多いってことと、めちゃくちゃ人口が多くて若いってことなんですけど、そこにAIが加わると、「英語圏の知識労働をAI×インド人が代替する」って形になるんですよね。

たとえば、企業がカスタマーサポートをAIで対応させて、その運用やチューニングをインドのチームがやる。資料作成もAIがベースで、それをインドで仕上げる。そうなると、アメリカやイギリスの中流ホワイトカラーの仕事が、そっくりそのままインドに移動する未来が見えるわけです。

給料が安い+スキルがある+AIも使える=無敵

欧米の人たちって、やっぱり労働単価が高いので、企業としては人件費を下げたい。でも、ただ安いだけじゃダメで、ちゃんと英語が通じて、教育水準も高くて、さらにAIも使いこなせる人たちが必要なんです。で、それに全部当てはまるのがインドの一部のエンジニアやビジネス層なんですよ。

たとえば、今まで10人でやってたような英文の事務作業が、AIと1人のインド人スタッフでできるようになる。コストは1/10で済むし、精度もAIで担保される。企業からしたら「それでいいじゃん」ってなるのは当然で、結果として英語圏の中流層の雇用がどんどん削られる方向になるんです。

データセンターが主権の象徴になる時代

「データをどこに置くか」で覇権が決まる

もうひとつのポイントが、リライアンスが作ろうとしてる3GWの巨大データセンター。ここでOpenAIやMetaのモデルをホストするかもって話が出てます。で、これがめちゃくちゃ大きい意味を持ってて、「AIの頭脳をどこに置くか」っていうのが、今後の情報主権の鍵になるんですよね。

要は、今まではアメリカにしかなかったAIの脳みそが、インドにもできちゃう。すると何が起きるかっていうと、アメリカ政府が「うちの監視が届かない場所に、勝手に頭脳作るなよ」って怒るかもしれない。でも企業にとっては、法規制が緩くて電気代も人件費も安いインドの方が都合がいい。

で、そこでできたAIが、世界中のビジネスに使われるってなったら、インドは実質的に「情報の流通センター」になるわけです。今まではアメリカのGAFAがやってたことを、インドがやり始めるってこと。

ローカルAIとグローバルAIの分裂が始まるかも

で、ここから先はちょっと先の未来の話なんですけど、「世界がローカルAIとグローバルAIに分裂する」可能性もあると思ってて。たとえば、欧州はGDPRとか個人情報保護が厳しいので、自前のAIしか使えないって方向になる可能性がある。中国はもう完全に自国製AIだけ使ってる。

で、インドがアメリカのAIと自国のAIの中間みたいな立ち位置になって、アジアや中東、アフリカに向けてグローバルAIを提供するって形になるかもしれない。これって冷戦時代の「西側の技術と東側の技術」みたいな構図で、「AI冷戦」みたいなものが起きるんじゃないかなと。

生活と教育に訪れるパラダイムシフト

AIに頼る教育が当たり前になる社会

今までは「答えを自分で考えましょう」とか「努力して理解しましょう」っていうのが教育の本質だったと思うんですけど、今後はそれが変わっていく可能性が高いんですよね。AIに質問すれば5秒で答えが出てくるわけで、それに対して「考える時間をかける意味って何?」っていう疑問が出てきちゃう。

つまり、教育の本質が「考えること」から「AIにどう聞くか」にシフトするわけです。要は、問題を解決するための問いを立てる力とか、AIから答えを引き出す技術のほうが重要になってくるんですよ。だから学校教育も、「暗記」じゃなくて「プロンプト設計」みたいな内容になっていくと思うんですよね。

しかもインドって、教育熱がすごく高くて、しかも人口も多い。そうなると、子供の頃からAIと一緒に学ぶのが当たり前っていう世代が、爆速で育ってくるわけです。で、その世代が世界の労働市場に出てきたときに、日本や欧米の若者が太刀打ちできるかっていうと、かなり難しいと思うんですよ。

「学ばない人」と「AIと学ぶ人」の格差

そうすると、社会の中で「AIと一緒に成長していける人」と「AIを使いこなせない人」の間にめちゃくちゃな格差が生まれるんですよね。前者はAIに任せてどんどん成果を出す。後者はAIに仕事を奪われて、何もできなくなる。

で、AIって一度覚えたことを忘れないし、サボらないし、文句も言わない。だから企業としては、どんどんAIを導入して、人間の手を減らす方向に動く。すると、仕事がある人とない人の差がめちゃくちゃ大きくなって、ベーシックインカムとか、そういう議論が本格的に始まると思うんですよ。

日本はどうすべきか?

「日本語」という鎖に縛られている現実

日本って、やっぱり一番の問題は「日本語しかできない人が多すぎる」ってことなんですよね。AIの多くは英語ベースで開発されていて、英語で使ったほうが性能が良かったり、対応情報が多かったりする。でも、日本ではまだまだ英語教育が形だけで、実用レベルに達してる人は少ない。

だから、せっかく世界中でAI革命が起きてても、日本語しかできないとその波に乗れない。逆に、インド人は英語ネイティブとまではいかなくても、ビジネス英語は余裕でこなすレベルの人が多い。そうなると、日本はAIの最前線から取り残されて、「AIを作れない、使えない、英語もできない」っていう三重苦になる可能性があるんです。

日本が生き残る道はあるのか?

とはいえ、絶望するのはまだ早くて、日本にもまだ勝ち筋はあると思ってて。それが「特化型AI」と「リアルとの融合」だと思うんですよね。

たとえば、日本は製造業や医療、介護といったリアルな現場に強い。そういう分野でAIをどう使うかっていうのを突き詰めていけば、インドやアメリカと違う形で存在感を出せる可能性がある。ロボットとAIの融合とか、地域医療へのAI導入とか、そういう「現場×AI」の分野ではまだ余地があるんですよ。

あと、特化型AIっていうのは、日本語だけに特化した法務AIとか、介護記録の自動作成AIみたいな、ニッチな分野を徹底的に攻める方法。要は、グローバル戦争に勝てないなら、局地戦で勝てばいいじゃんって話ですね。

AI覇権をめぐる新しい秩序の始まり

国家よりも企業が世界を動かす時代へ

今回のOpenAIとリライアンスの提携話って、よく考えると「国と国の話」じゃなくて「企業と企業の話」なんですよね。つまり、国境を超えた企業連合が、国家よりも早く、深く、世界の仕組みを変えていってる。

これって、冷戦時代の「米ソの対立」みたいな構図とは全然違って、「どこの国に所属してるかより、どこの企業が技術を持ってるか」が重要になる時代なんですよ。で、その中でインドが経済圏として台頭してくると、今までの国際秩序がガラッと変わる可能性がある。

アメリカの企業がインドにインフラを持って、そこからアフリカや中東にサービスを供給していくってなると、もはや「アメリカの技術」って言えないわけですよね。それはもう「グローバル企業の技術」でしかない。

人間が生きる意味を問い直す時代が来る

最終的にAIがここまで生活に入り込んでくると、「じゃあ人間は何のために生きてるの?」っていう根本的な問いに戻ることになると思うんですよ。

今までは「働いて、家族を養って、老後を迎える」っていう人生のモデルがあったけど、AIに仕事を奪われて、社会に必要とされなくなったと感じたとき、人は自分の存在意義をどこに見出すのか?

芸術とか、スポーツとか、人間にしかできないことに価値を見出す時代が来るのかもしれないし、逆に虚無感に包まれて無気力になる人が増える可能性もある。要は、「生きる意味」が再定義される時代に突入するってことです。

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