広告の自動化がもたらす「人間不要社会」への入り口
マーケターという職業の終焉
要は、X広告のターゲティングをAIが代替できるようになったって話なんですけど、これってつまり、マーケターの仕事がAIに取って代わられつつあるってことなんですよね。広告業界って、クリエイティブとデータ分析の両輪で回ってるんですけど、そのうちの「分析」部分はほとんどAIに任せたほうが効率いいよね、って流れがもう始まっちゃってるわけです。
で、人間ってバイアスを持ってるから、どうしても「この商品はこの層に刺さるはず」って思い込むんですけど、AIは過去データから客観的に判断するので、思い込みによるミスがない。だから、広告のターゲティング精度が人間より上がっちゃうんですよ。結局、AIに任せたほうが安いし、速いし、効果も出るから、人間いらなくなるよねっていう。
中小企業の逆襲が始まる
もうひとつ面白いのは、こういうAI広告ツールの登場で、大手企業の広告運用と中小企業のそれがほとんど差がなくなってくるってところなんですよね。今までは、リサーチや戦略設計に時間もお金もかけられる大企業が圧倒的に有利だったんですけど、AIが全部やってくれるなら、個人商店でも全国規模の企業と同じレベルの広告が打てちゃう。
つまり、金と人手の差が無意味になって、アイデア勝負の時代になる。極端な話、SNSでバズった1人のインフルエンサーが、数十億の広告費使ってる大企業より影響力持っちゃうってことが、今よりもっと当たり前になるんですよ。
人間の「判断力」が失われる時代
選ばなくてもいい世界の到来
AIが最適解を提示してくれるってことは、人間が選ぶ必要がなくなるってことでもあるんですよね。たとえば広告だけじゃなくて、商品の選定、値段の決定、販促タイミング、全部AIが自動でやってくれる未来が来るわけです。
で、これって便利ではあるんですけど、逆に言えば、人間が「考える力」を失うってことでもある。昔は「どの商品が売れるか」を考えるのが商売だったのに、今は「AIが言うからこれにしよう」になっちゃう。自分の経験とかセンスが通用しない世界ですよね。
要は、最適化された世界って、一見すると合理的で快適なんですけど、選択肢が絞られるぶん、自由度が減るんですよ。で、その自由度の中にこそ、人間らしさとか創造性ってあったんじゃないの?っていう問題も出てくる。
クリエイティブすらAIが勝つ世界
広告業界の中で「最後の砦」とされてたのがクリエイティブだったんですけど、これもそろそろ怪しくなってきてますよね。今の生成AIって、文章も画像も動画も、それっぽいものを一瞬で作れちゃう。で、それをAIがA/Bテストして、一番効果の高いやつだけ残す。これってもう、人間が考えて頑張るよりも確実に成果が出るってことなんですよ。
もちろん、人間の感性とか感情に訴える作品もあるんですけど、マーケティングの世界では「成果がすべて」ですから。誰が作ったかじゃなくて、どれだけ売れたか。そうなると、クリエイティブでさえAIが有利になってくる。
そうすると、人間が何をするのかっていうと、「AIに指示を出す」だけになる。つまり、仕事の本質が「作る」から「頼む」に変わる。これって、なんか寂しい感じがしますけど、でもそれが効率的なんですよね。
教育・就労の構造が崩れる
専門知識より「使いこなす力」が重要に
で、じゃあこれからの社会で何が求められるかって話になると、もう専門知識とかスキルじゃなくて、「AIをどう使いこなすか」っていうメタスキルのほうが重要になってくるんですよ。昔は「マーケティングができる人」が重宝されたんですけど、これからは「マーケティングAIを上手く使える人」が価値を持つ。
これ、教育の現場でも変化が出てきますよ。今の学校教育って、まだ「正解を覚える」ことに重点が置かれてるんですけど、AIが正解を出してくれるなら、覚える意味がなくなる。むしろ、「どう質問するか」「どんなデータを与えるか」のほうが重要になる。
で、そうなると、今までの「暗記型教育」は無意味になるわけです。じゃあ、何を教えるの?ってなると、「考え方」とか「抽象的な発想力」になる。でも、それを教えられる先生がいないんですよね。
働かなくても生きていける時代
AIが仕事を奪うっていうとネガティブに聞こえるかもしれないですけど、逆に言えば「働かなくても生きていける社会」が実現するかもしれないってことなんですよ。だって、広告運用ですら人間がいらないなら、もっと単純な仕事は全部AIに任せられるわけで、ベーシックインカムみたいな仕組みと組み合わせれば、最低限の生活は保証される。
もちろん、仕事がなくなって「やることがない」って状態になる人も出てきますけど、それって本当に悪いことですか?って話でもありますよね。要は、仕事=生きがい、っていう価値観そのものが問われる時代になる。
人間の存在価値はどこにあるのか
創造性と偶然性の再評価
AIが広告だけでなく、多くの業務を代替できるようになると、必然的に「人間の存在価値って何?」という問いが浮かび上がってくるんですよね。効率や正解を出すという点ではAIのほうが圧倒的に上です。でも、人間には「偶然」や「間違い」から生まれる創造がある。
たとえば、有名な話ですけど、ポストイットって本来「失敗した接着剤」から生まれた商品なんですよね。AIは失敗しない代わりに、そういう偶発的なヒットは生み出せない。だから、人間にしかできない価値って、論理の外にある「ムダ」や「無駄遣い」の中から生まれるかもしれない。
要は、最適化された社会って、実は退屈かもしれないって話なんですよ。毎日、最適な時間に起きて、最適な食事を摂って、最適な情報を受け取って、最適な方法で働いてたら、人生に意味って見いだせるの?って疑問が出てくる。
「面白さ」の価値が上がる
結局、人間にしかできないことの一つが「人を笑わせる」とか「感動させる」ってことになるんですよね。AIがいくら精密にコンテンツを生成しても、そこに「人間くささ」がなければ心は動かない。
なので、これからの社会では「面白さ」や「共感」といった、非効率で曖昧な価値が逆に重視されるようになるんじゃないかと。で、そうなると重要なのは「人としての経験」なんですよね。旅をしたり、失敗したり、誰かと喧嘩したり、そういう一見ムダなことが創造性の源泉になる。
つまり、「正解を出す力」から「物語を生み出す力」へと価値の軸が移動する。広告も、ただ売れるだけじゃなくて「語られるかどうか」が重要になる。そういう意味では、広告もアートに近づいていくかもしれないですね。
テクノロジー格差が生む新しい分断
AIを使える人と使えない人
で、これだけAIが進化しても、結局それを「使える人」と「使えない人」の差はどんどん広がると思うんですよね。昔は学歴や収入が格差の原因でしたけど、これからは「テクノロジー理解力」が新たな格差を生む。
たとえば、AI広告ツールを導入できる企業と、それが使いこなせない企業では、広告効果に圧倒的な差がつく。結果として、売上も人材も集中して、さらに格差が広がる構造になる。
個人でも同じで、AIを使って副業したり、コンテンツを量産できる人は、圧倒的に有利になる。逆に、今までのやり方に固執している人は、どんどん取り残されていく。要するに、変化に適応できる人だけが生き残る社会になるわけです。
教育とリスキリングが鍵になる
なので、教育のあり方も大きく変えないとまずいわけです。AIが当たり前の時代に、「読み書きそろばん」だけ教えてても意味がない。必要なのは、「どうやってAIを活用するか」とか「データをどう読み解くか」っていうスキル。
リスキリングって言葉がありますけど、これはもう社会全体で本気でやらないといけない。特に中高年の層がAIに仕事を奪われて、そのままリタイアってなったら、社会保障も回らなくなるし、本人もやりがいを失う。
だから、会社が社員にAI教育をするのは当然として、個人も「もう一度学ぶ」ことに抵抗感を持たないことが大事なんですよね。で、それができる社会設計にする必要がある。国や自治体が本気で「学び直し」を支援しないと、分断は加速するだけです。
「選ばれる社会」から「選ばせる社会」へ
アルゴリズムの支配からの脱却
最終的に一番怖いのは、AIによって選ばれる社会になっちゃうことなんですよ。今のSNSでも、アルゴリズムが「これがオススメ」って出してくるじゃないですか。あれがどんどん進化して、「あなたの行動はこれが最適です」ってところまで来る。
で、それに従ってると、自分の人生なのに「他人に決められてる感覚」になるんですよね。でも、それに気づけない人がほとんどになる。自分で選んでるように見えて、実は選ばされてる。
だからこそ、「選ばせる力」が重要になってくる。つまり、AIが提示してきたものに対して「本当にこれでいいの?」って問い直せる能力。それを持ってる人が、最終的に自由を手に入れるんじゃないかと。
AIと共存するための「意図」の力
AI時代に生きるってことは、ただ効率的に生きることじゃなくて、「自分がどう生きたいか」を明確に持つことなんですよね。AIは手段でしかなくて、目的は人間が決める。だから、なんのために広告を打つのか、なんのために情報を発信するのか、その「意図」がないとAIの奴隷になるだけ。
これからの時代は、頭がいいとかスキルがあるよりも、「意図が明確な人」が価値を持つ社会になると思います。逆に言えば、目的を持たずに流されて生きてる人は、AIに操作されて終わるだけです。
結局、AIが発達すればするほど、人間が問われるのは「自分はどう生きたいのか?」ってことになる。それに向き合える人が、生き残る時代になるんじゃないですかね。
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