AIが変える労働の風景
クレーム対応はAIに任せればいいんじゃないですか?
NTTデータがChatGPTを活用したAIエージェントを世界展開するって話なんですけど、要はこれって、今まで人がやってた「面倒くさい作業」をAIに置き換える流れの一環なんですよね。特にコールセンターとかカスタマーサポートなんて、基本的に同じことの繰り返しで、人間がやる意味ってあんまりないんですよ。で、そういうところにAIをぶち込めば、時間と人件費の節約になるし、文句も言わないから、クレームも減るっていう。むしろAIの方が丁寧だったりしますし。
今後の未来を考えると、AIに仕事を奪われるって言われることが多いんですけど、僕はむしろ「奪ってもらってラッキー」くらいに思ってます。無駄な業務から解放されて、人間はもっと人間らしいことに時間を使えるようになる。要は「嫌なことはロボットに任せようぜ」って話なんですよね。
ホワイトカラーの仕事は実は一番無駄が多い
AIが最初に置き換えるのって、工場労働とか肉体労働じゃなくて、ホワイトカラーの仕事なんですよ。要するに、会議で延々と意味のない議論をしてたり、メールで「お世話になっております」とか書いてる人たち。こういう作業って実は全部テンプレでできるから、AIが一番得意な分野なんです。
今後、企業はAIエージェントを使って業務の大半を自動化していくと思うんですけど、そこで一番影響を受けるのは中間管理職なんですよね。指示を出すだけで自分では何もしない人たち。で、そういう人たちが「仕事を失う」とか言って騒ぎ出すわけですけど、そもそもやってる仕事の価値がないっていう現実を突きつけられるだけなんですよ。
社会の構造が変わる兆し
ベーシックインカムが現実的になる理由
で、仕事がAIに置き換えられると、当然「働かなくても生きていける社会って必要だよね」って話になるんですよ。つまり、ベーシックインカムの議論が本格化する。今までの社会って「働いたらお金がもらえる」が前提だったんですけど、それが「AIが働いて、人間はもらう」って構図になるわけです。
フランスなんかだと、すでに週35時間労働とかやってて、仕事しすぎない方が幸せって考えが広まってるんですよ。日本もようやくそれに追いつく形になるかもしれない。でも、日本って「働くこと=美徳」みたいな価値観が根強いから、なかなか社会が変わりにくいんですよね。だから、こういうグローバル企業の動きが外圧として働いて、日本も変わらざるを得なくなると思います。
教育の形も大きく変わる
あと、AIが社会の前提になると、教育の仕組みも変えざるを得ないんですよ。今の学校教育って「暗記が得意な人」が評価される仕組みなんですけど、それってAIに一番向いてる能力なんですよね。だって、ググればすぐ出てくるような知識をいくら詰め込んでも、今の時代あんまり意味ないんですよ。
これからの教育って「AIとどう付き合うか」とか「人間にしかできないことって何か」っていう問いにシフトしていくべきで、その中で創造力とか対話力が重視されるようになるんじゃないかと思ってます。結局、AIと共存していくには、人間の価値を再定義しなきゃいけないわけで、そこをどうするかって話になるんですよね。
グローバル競争の構図も変わる
日本が勝てるチャンスはここしかない
日本って正直、テクノロジーの分野では最近あんまりパッとしないんですよ。スマホも海外勢に全部持っていかれてるし、IT企業もGAFAみたいな存在がない。でも、今回のNTTデータの動きって、ちょっと違う流れを作れる可能性があると思ってて、要は「日本の企業がAIをどう使うか」で差別化できるチャンスなんですよね。
アメリカは技術開発は得意だけど、それをどう社会に適応させるかって部分ではけっこう荒っぽいところがある。中国は強権的に導入を進めるけど、プライバシーの概念が薄い。日本はその中間で、「人に優しいAIの使い方」を提示できれば、グローバルでの信頼を得られるかもしれないんですよ。
中小企業の救世主にもなり得る
あと、地味に重要なのが中小企業への影響です。今まで人手不足で困ってた中小企業も、AIを使えば人材コストを抑えられるようになるし、業務効率化もできる。つまり、今まで「資本のない会社は不利」って構造が、ちょっとずつ崩れていくんじゃないかと。
AIって基本的にスケーラブルな技術なんで、最初の導入さえ乗り越えれば、あとはほぼコストがかからない。つまり、資金力よりも「どう使うか」が重要になる時代になるってことです。で、そういう変化に柔軟に対応できる企業が生き残っていく。
人間の役割と価値の再定義
「人間である意味」が問われる時代
AIが当たり前になる社会って、結局のところ「人間である意味」が問われる時代なんですよね。つまり、「AIができることは全部AIに任せればいいじゃん」ってなったときに、じゃあ人間は何をすべきかって話になる。で、そのときに求められるのが、共感力だったり、倫理観だったり、創造性だったりするんです。
今までの社会って、努力すれば報われるっていう幻想があったんですけど、AIは24時間休まず働いて、失敗もしないし、成長もし続けるわけで、努力だけじゃ勝てない世界になるんですよ。だから、「効率的に考える力」とか「無駄なことをしない勇気」みたいな、新しい価値観が重要になる。逆に言うと、今までの努力の方向性が間違ってた人は、むしろ救われるんじゃないかと。
感情や偶然の価値が上がる
AIって基本的に論理的で予測可能なんですよね。でも人間って、めちゃくちゃ感情的で、予測不可能なことばっかりやる。で、今まではそれが「非効率」として嫌われてたんですけど、逆にそれが価値になるかもしれない。
たとえば、誰かが意味もなく描いた絵が、AIには絶対に出せない感情を引き起こすとか。あるいは、偶然の会話から生まれるアイデアが社会を変えるとか。そういう「予測できない価値」が、人間の存在理由になる可能性があるんですよ。つまり、論理ではなく「ナゾ」の価値が再評価される時代になる。
格差と倫理の問題
AIを使える人と使えない人の格差
AIが社会に浸透すると、次に問題になるのが「使える人」と「使えない人」の格差なんですよね。たとえば、AIを使いこなせるスキルがある人は、どんどん効率よく稼げるけど、そうじゃない人は取り残される。で、この格差って、単に経済的な差じゃなくて、「情報リテラシー」の差だったり、「学ぶ意欲」の差だったりするんです。
だから、「AI教育」っていうのがすごく重要になる。単にプログラミングを教えるんじゃなくて、「どうやってAIと一緒に考えるか」を教える教育が求められるようになる。で、それをちゃんと国が支援できるかどうかが、将来の社会の安定を決めると思うんですよね。
倫理の境界線が曖昧になる
あと、AIが人間の判断を代替するようになると、「倫理」っていう概念の扱いが難しくなる。たとえば、AIが犯罪予測をするようになったら、「まだ何もしてない人をどう扱うか」とか、「間違った予測に基づいて人を処罰するリスク」とかが出てくるわけです。
で、そういう判断をAIに任せるのって、ある意味で人間が責任を放棄してるとも言えるんですよ。でも、便利さを優先したい人たちは「AIの方が正確だからいいじゃん」って言うわけで、そこで社会的な対立が起きる可能性がある。だから、技術の進化に対して、倫理の議論が追いつくかどうかが問われるんですよね。
未来は不安定、だからこそ面白い
変化を恐れる人は損をする
要は、AIの導入で社会が大きく変わることは避けられないんですよ。で、そのときに「昔のやり方が一番だった」って言ってる人たちは取り残されていく。逆に、「じゃあどう使うか」を考えられる人が新しい価値を作っていく。結局、変化を受け入れることが生き残るコツなんですよ。
僕が思うに、今後の社会って、「わからないことを楽しめる人」が強くなると思うんですよね。未来が不確実であることを前提に、「どうなってもいいように準備する」とか、「最悪の事態を前提に行動する」みたいな思考法が必要になる。で、それって論理的に考える力よりも、「柔軟さ」とか「遊び心」に近いんですよ。
人類の次のステージへ
最後にまとめると、NTTデータのAIエージェントの世界展開って、単なるビジネスの話じゃなくて、人類が「次のステージ」に進むための第一歩なんですよ。つまり、「AIと共存する社会」がいよいよ現実味を帯びてきたという話。
で、それに対応できるかどうかが、今後の社会の安定性を決める。技術はどんどん進化するけど、それをどう使うかは人間次第。だからこそ、今のうちに「AIに仕事を取られたらどうしよう」じゃなくて、「AIと一緒に何ができるか」を考えるべきなんですよね。
要は、未来はAIによって便利になるけど、その便利さを活かすのは人間の工夫次第ってことです。
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