BMWが中国AI採用で変わる未来と日本の課題

自動運転

ドイツ車が中国AIを載せる未来の意味

BMWが中国企業と手を組むのは必然なんじゃないかと

まず、BMWが中国のAIスタートアップ「ディープシーク」と組んで、中国市場向けの新車にAIを搭載するって話なんですけど、これって別に驚くような話じゃなくて、むしろ遅すぎたくらいじゃないですかね。結局、自動車ってハードウェアの性能よりも、ソフトウェアの体験が重要になってきてるんですよ。

で、今どこが一番ソフトウェアで強いかっていうと、アメリカのビッグテックと、中国のAIスタートアップなんですよね。欧州はGDPRとかでがんじがらめだし、日本はそもそもソフトウェア開発に本気出してないし、そうなると自然と中国に行きつくのは当たり前。

BMWみたいなグローバル企業が「現地化」って言って、中国の規制と市場ニーズに合わせるっていうのは、合理的な判断でしかないんですよ。まあ要は、「強いところと組むのが一番効率的」って話です。

運転しない人類が当たり前になる世界

今後、中国のAIがどんどん車に入ってくることで、いちいち人間がハンドル握らなくても良くなる未来が近づいてるんじゃないですかね。自動運転って、いろんな国で規制があったり道路環境が違ったりして難しいんですけど、中国って一回国が「これやるぞ」って決めると、インフラから法律から全部ガチで整えてくるんで。

で、BMWがそういう中国製AIを積極的に取り入れるってことは、欧州の人たちも「なんか中国製AIの方が運転うまくね?」ってなってくるわけで、結果的に人間が運転する機会ってどんどん減っていくと思うんですよ。

そうすると何が起きるかっていうと、「免許取る意味ある?」って話になるし、教習所も潰れるし、タクシー運転手もリストラされるし、職業ドライバーって存在が時代遅れになっていく。つまり、今当たり前にある職業とか産業が、根本的に再定義されるってことです。

AIカー社会がもたらす生活の再構築

移動がストレスじゃなくなると人は何をするか

自動運転が当たり前になると、移動時間って「ただの空白」じゃなくなるんですよね。今って通勤ラッシュとかで1時間かかって、それがストレスになってる人多いと思うんですけど、自動運転で移動できるなら、その時間で映画観たり、会議したり、寝たりできる。

つまり、「移動時間=無駄な時間」って価値観がなくなるんですよ。で、そうなると「どこに住んでもよくない?」って話になる。都心に無理して住む必要がなくなって、地方や郊外に人が分散していく可能性がある。

この流れが進むと、都市の意味も変わってきて、地価の高騰も収まりやすくなる。そしたら、「東京に住んでるから勝ち組」みたいな価値観も崩壊して、もっとフラットな社会になるんじゃないかと。

日常にAIが溶け込むと何が変わるのか

車にAIが入るってことは、車が単なる移動手段じゃなくて、AIアシスタントの延長になるわけです。たとえば、AIがユーザーのスケジュールや健康状態を把握して、「今日は疲れてるから経由地でコーヒー買いますか?」とか提案してくる。

これってつまり、車が人間の「状態」や「文脈」を理解して動いてくれる時代になるってことなんですよ。これまではスマホの中だけだった「パーソナライズドAI」が、生活空間全体に広がるわけです。

そうなると、今まで「人間が考えて判断していたこと」が、AIのおすすめで済むようになるんですよね。要は、選択肢をAIに委ねることで、思考の省エネが進む。良くも悪くも、人間が考える機会が減っていくんじゃないかと。

AIが主導する未来の労働と教育

「運転する人」がいらなくなると雇用はどうなるか

運転がAIに置き換わるってことは、それを仕事にしていた人たちが職を失うってことなんですよ。タクシー運転手、トラック運転手、バスの運転士…これら全部が「機械でいいじゃん」ってなる。

で、「じゃあその人たちどうするの?」って話になるんですけど、正直、すぐに代替できる仕事ってあんまりないと思うんですよね。だから、社会全体で「労働の再教育」みたいなことを本気で考えなきゃいけなくなる。

ただ、今の教育制度って「教える側」がAIより情報に疎い場合が多くて、古い知識を詰め込むだけだったりするじゃないですか。なので、そもそも教育のあり方自体を見直す必要が出てくる。

つまり、「AIに仕事を奪われた人たちにどうやって新しいスキルを与えるか」って話と、「教育現場がAIに追いつけるか」っていう二重の課題が浮上するわけです。

AIの判断力と人間の倫理のずれ

AIってのは、データベースに基づいて最適解を出すのは得意なんですけど、それが「人間として正しいか」っていう倫理判断は別なんですよね。

たとえば、あるルートを通った方が燃費が良いけど、その道は保育園の前を通って危ないとか。そういう時、AIは「燃費最適化」を選ぶかもしれないけど、人間だったら「子どもが多い場所は避けよう」って感覚的に判断するわけです。

だから、AIが日常の意思決定に入り込むと、「人間の感情や倫理」みたいな非論理的要素との摩擦が必ず出てくる。それが社会問題になる前に、どこまでAIに判断させていいのかっていう線引きを、法律や倫理学でちゃんと考えなきゃいけない。

結局、「AIが優れている」ってだけじゃ済まない世界になっていくんですよね。

中国主導のAI社会と日本の立ち位置

中国が作る「AIスタンダード」に乗れない日本

今回BMWが採用したディープシークのAIって、中国国内で開発されてるわけで、そこには当然、中国政府の意向や文化、思想も入り込むわけです。

で、そのAIが世界中の車に搭載されると、「中国の思想に基づく行動」がグローバルスタンダードになっちゃう可能性がある。これって、情報戦としてはめちゃくちゃ強いんですよね。

日本はというと、まだ「AIって怖い」「倫理的にどうなの」って言って議論してる段階で、実装が全然進んでない。要は、「AI社会」のフォーマット戦争に負けつつあるわけです。

このままだと、日本は「AIを使うだけの消費者国家」になって、技術も利益も全部持っていかれる。なので、本当に技術主権を守りたいなら、倫理を盾に議論するよりも、早く自前のAIを育てるしかないんですよ。

人間の価値が再定義される時代へ

AIがどんどん生活の中に入ってきて、判断や行動を肩代わりしてくれるようになると、人間に求められるのは「共感力」とか「創造性」とか、要はAIが苦手なことになるわけです。

「ただのスキル」じゃなくて、「人間としての存在価値」みたいな部分に注目が集まるようになる。そうすると、今まで評価されてこなかった感情労働とか、アートとか、教育みたいな分野が、逆に重要視される時代が来る。

でも、それってめちゃくちゃ難しいことでもあるんですよね。だって、「自分の存在意義って何だろう」って真剣に向き合わなきゃいけないから。

結局、AIが当たり前になればなるほど、人間に求められるのは「非効率な価値」なんですよ。だから、効率一辺倒の社会から、「ムダの中にある本質」にシフトしていくんじゃないかと思ってます。

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