AIスタジオと人間の仕事の境界線
「人」が要らなくなる時代の入口
要はですね、今回のキヤノンMJとAI modelの協業って、AI技術によって撮影スタジオ自体を自動化して、モデルの代わりにAIが商品写真を作るって話なんですよ。で、これが何を意味するかっていうと、「人を使わなくても写真が撮れる」ってことなんですよね。つまり、モデルさんとかカメラマンとか、そういうプロフェッショナルの仕事が徐々に減っていくわけです。
で、「AIモデル」とかって言うと、まだちょっと未来っぽく聞こえるかもしれないですけど、既にSNSとかでもAIが作った画像って結構出回ってて、普通の人は気づかないレベルになってるんですよ。肌の質感とか服のシワまでリアルに再現できちゃうんで、もう「人間を使う意味ってあるの?」っていう段階に来てるわけです。
コスト削減の果てにある「無人化社会」
で、企業側としては当然、コスト削減になるんですよね。AI使えばスタジオ借りる必要もないし、モデルをブッキングする手間もない。スタッフのスケジューリングとか、機材トラブルとか、そういう「人が関わることで起きるリスク」がなくなるんですよ。これって、すごく効率的な話で、ビジネス的には正しい判断なんですけど、じゃあその分失われる仕事ってどうなるの?っていう問題は残るわけです。
で、こういう流れが進むと、徐々に「人間の価値って何だっけ?」って話になってくるんですよ。要は、AIができることがどんどん増えていって、人間がやるべき仕事がどんどんなくなっていく社会になるんですね。
「働かなくても生きていける社会」の現実味
ベーシックインカムが必要になる日
結局のところ、人間が働かなくても回る社会になるなら、次に出てくるのが「ベーシックインカム」なんですよね。つまり、働かなくても最低限の生活が保障される制度が必要になる。これまでの社会って、「労働の対価としてお金を得る」っていうのが基本だったんですけど、その前提が崩れると、国が最低限の生活を支えるしかないんです。
で、それを実現するためには、AIやロボットが生み出した富をどう再分配するかっていう問題が出てくるわけです。だから、富裕層に課税して、それを再分配していくっていう形になるんじゃないですかね。これはすでに一部の国で議論されてる話でもあります。
「好きなことだけやって生きる」社会の可能性
で、そういう社会になると、逆に「好きなことだけやって生きる」っていうスタイルが普通になるかもしれないんですよ。今って「好きなことを仕事に」っていうのが理想論みたいに語られてますけど、実際には多くの人が生活のために働いてるわけで。でも、その「生活のため」が必要なくなったら、やりたくない仕事を無理にやる必要がなくなるわけです。
つまり、アートとか、ボランティアとか、創作活動とか、そういう「金にはならないけど楽しいこと」に時間を割けるようになる。もちろん、そこで競争はあるんでしょうけど、それでも「自分の好きなことで評価される」っていう構造ができれば、今とは違う幸せの形が見えてくると思うんですよね。
AIが作る「現実」の再定義
「現実」と「フェイク」の境界線が曖昧に
もうひとつ注目すべきなのが、「リアル」と「フェイク」の境界線がどんどん曖昧になっていくってことです。たとえば、AIが作ったモデルが広告に出てるとして、それを見た人が「この服似合うな」と思って買う。でもそのモデルは実在しないわけですよね。で、それってユーザーにとっては関係ないんですよ。「映えるかどうか」だけが重要であって、その背後にある「誰が着てるか」はどうでもいい。
つまり、今まで「リアルな体験」が価値を持ってた社会から、「見た目が良ければOK」な社会に変わっていくんですよ。これって、かなり根本的な価値観の変化で、マーケティングや広告の世界でも大きな影響が出てくると思います。
信用の再構築が必要になる
でも、こういう社会になると「信用」の意味が変わってくるんですよ。たとえば、インフルエンサーがAIだったとして、その人が紹介する商品にどれだけの説得力があるのか?っていう問題が出てくる。今までは「この人が使ってるから安心」っていう感覚があったけど、それがAIだとしたら、何を信用するの?って話になるんですよね。
だから、今後は「情報の裏付け」とか「レビューの信頼性」とか、そういうところに対する基準が変わってくる。たぶん、ユーザーがもっと賢くならないと、AIが作った世界に簡単に騙されちゃう社会になるんじゃないかと。
職業の再編と教育の変革
「仕事を選べない」から「仕事が選ばれない」へ
昔は「いい大学に入って、いい会社に入って、安定した生活を」っていうのが一般的な人生モデルだったんですけど、それが通用しなくなってくるんですよね。要は、AIがやったほうが早くて正確な仕事ってどんどん増えていくわけで、人間に求められるスキルが根本的に変わってくるんです。
たとえば経理とか事務作業みたいな「定型業務」は、もうAIの方が圧倒的に強いんですよ。計算ミスもしないし、夜通し働かせても文句言わない。で、そうなると人間に残される仕事って、「人間じゃないと無理なやつ」になる。つまり、クリエイティブとか、人間関係の調整とか、共感力を使ったケアの仕事とか、そういう分野が中心になる。
教育が「AIでは代替できない能力」を育てる方向へ
そうすると、教育のあり方も変えざるを得ないんですよ。今の学校教育って、未だに「知識を詰め込む」っていうスタイルが中心ですけど、それってAIが一瞬でできることなんで、まったく意味ないんですよね。むしろ、「問いを立てる力」とか「他人と協力する力」とか、「創造的に考える力」みたいな、人間にしかできない能力を伸ばす教育が必要になる。
つまり、学校が知識の供給所から、スキルと人間力を育てる場に変わらなきゃいけないわけです。でも、これは制度とか教員の価値観も変わらなきゃ無理なので、かなりハードルが高い。でもやらないと、子どもたちが将来「AIに仕事を奪われた世代」になっちゃうんですよ。
人間の価値とは何か?の再定義
労働の終焉がもたらす「生きがい」の模索
労働って、単にお金を得る手段だけじゃなくて、人生の中での「役割」とか「自分の居場所」を提供してた部分もあるんですよね。でも、その労働がなくなると、じゃあ人は何のために生きるの?っていう哲学的な問いが出てくる。
つまり、「生活のために働く」が消えた時、人間は「生きる意味」をどうやって見つけるのか?っていう話なんです。趣味に生きる人もいれば、社会貢献に生きる人もいるでしょうし、ただただ怠惰に生きる人もいる。でもそれが許される社会なら、それもアリなんですよね。
「評価されたい欲求」の新しい形
人間って、結局どこかで「他人に認められたい」っていう欲求を持ってるんですよ。で、今まではそれが仕事を通じて得られてたけど、今後はそれが別の形になる。たとえばSNSでフォロワーを増やすとか、ボランティアで地域に貢献するとか、小規模でも自分が中心になって動かせるコミュニティを持つとか。
要は、「稼げるかどうか」よりも、「誰かに見てもらえてるか」「認められてるか」っていうのが重要になる時代になるんですよ。で、それって資本主義の枠外での価値になるので、新しい社会構造をどうやって作るかってのが、次の課題になると思うんです。
まとめ:AI社会で生き残る人とは?
「変化を楽しめる人」が強い
で、結局この先どうなるかっていうと、「変化を楽しめる人」が強い社会になるんですよ。ルールが変わったときに、「なんでこんなことに…」って愚痴る人じゃなくて、「じゃあ次はこうしよう!」って考えられる人。これは性格の問題というより、マインドセットの問題です。
AIに仕事を奪われたって嘆いても意味がないわけで、それなら「AIができないことって何だろう?」って考えて、そこに注力するしかないんですよね。要は、時代が変わったときに、柔軟に対応できる力が問われてるわけです。
「どうでもいいこと」に時間を使える贅沢
最後に、ひとつだけ希望的な話をすると、「どうでもいいこと」に時間を使える社会って、実はすごく贅沢なんですよ。今って、やたらと効率性ばかり求められて、「無駄なことやってる暇なんてない」って感じですけど、逆にAIが全部やってくれる時代になれば、無駄なことにこそ意味がある、っていう社会になるかもしれない。
たとえば、誰も聴かない音楽を作るとか、意味のないアートを描くとか、毎日同じ風景を撮り続けるとか、そういう「無意味に見えるけど自分にとっては大事なこと」を大切にできる余裕ができるわけです。それって、人間が本来持ってる「遊び心」とか「自由」そのものなんですよね。
だから、AIが進化して、人間の仕事が減るっていうのは、一見ネガティブに見えるかもしれないけど、見方を変えれば、「人間らしく生きられる時代」が来るってことでもあるんじゃないかな、と思うんです。
コメント