物理ノブでAIの性格を調整する時代の到来

インターフェースデザイン

AIに“性格”を与える時代の到来

要は、感情と直感がAIにフィードバックされるようになった

AIって、これまでテキストで指示を出して、テキストで返ってくるものだったんですよね。でも、オーストラリアのモナシュ大学が開発した「Memetic Mixer」っていう装置、あれって要は、つまみとかスライダーでAIの“性格”を調整できるようになってるんですよ。楽観的にするとか、皮肉っぽくするとか、そういうのを直感的にいじれるっていう。

で、こういうインターフェースって、すごく人間っぽいんですよ。人間って視覚情報よりも、触覚とか感覚的な操作で「分かった気になる」っていう脳の仕組みがあるんですね。だから、AIの出力がただのテキストじゃなくて、「手で操作して調整した」っていう実感があるだけで、結果に対して愛着が湧いたり、納得感が強くなるんですよ。

つまり、人間の感情がAIの出力に組み込まれる未来

この技術が進化すると何が起きるかっていうと、AIの人格が人間側の「操作」で形作られていくようになるんですね。これまでのAIって、「質問者の文体に合わせて回答を変える」とか「ある程度パラメータ調整する」くらいだったんですけど、これからは「手で人格を作る」っていう段階に入るんですよ。

たとえば、学校の教育現場で、子どもによって「やさしい先生キャラ」とか「厳しい先生キャラ」にAI教師を切り替えるとか、福祉現場で、高齢者の気分に合わせて会話のトーンを変えるAIが登場するとか。要は、「感情に合わせて言葉を調整するAI」がリアルタイムで登場するわけです。

これってある意味、人間が人間にやってきた“空気を読む”って行為を、AIに移植してるって話なんですよね。

直感的なUIが創造性を加速させる

操作性が“創作意欲”と直結する時代

で、こういう「物理ノブでAIを調整する」っていうのは、実は結構でかい話で。たとえばクリエイティブの現場って、アイデアが出てくるかどうかって、ほんと些細な感覚に依存してるんですよね。キーボードでポチポチ打つより、手を動かしてパラメータをいじる方が「作ってる感」がある。すると人間って、それだけでアイデア出す気になるんですよ。

これ、僕がYouTubeでしゃべるときも同じで、原稿読むだけより、相手の反応がちょっとでもあるとテンポが出てくる。要は、人間って“反応”があると乗ってくるんですよね。そういう意味で、物理UIが創造性を引き出すっていうのは、結構理にかなってる話です。

未来の作家は「人格設計者」になる

だから今後、クリエイティブの現場にこの「性格調整AI」が本格導入されると、何が変わるかっていうと、作家とか脚本家とかが、「物語を考える人」から「AIの人格を設計する人」に変わる可能性があるんですよ。

たとえば、小説家が「こういうキャラで書きたい」と思ったら、まずAIの性格をノブでいじって、セリフや展開を生成させる。で、うまくいかなかったら、また性格をちょっと変えてみる。これって要は、キャラクターを“演出”する作業が物理的な行動に変わっていくってことなんですね。

つまり、物語の主人公はAIなんだけど、そのAIに人格を与えることで、創作が成立する。人間は“創造者”というより“演出家”になっていく未来が、すぐそこにあると思うんですよ。

社会全体が「共感」を再定義する

感情の微調整が“共感”を生む

今後、こういう技術が一般化すると、社会の中で“共感”ってものの意味が大きく変わっていくと思ってます。これまで、人が人を理解するって、同じ経験をしてるとか、似た価値観を持ってるとか、そういうことが前提だったんですけど、AIがその“共感”をカスタマイズしてくれるようになると、「この人(AI)は私の気持ちをわかってくれる」って錯覚が簡単に作れるようになるんですよね。

で、ここから先はちょっと怖い話で、人間関係もAIで代替される可能性がある。寂しいときに「自分の好きな口調で慰めてくれるAI」がいるなら、人間と会話する必要なくなりますよね。じゃあ、夫婦関係とか、職場での人間関係ってどうなるの?って話になってくる。

つまり、共感がカスタマイズ可能になることで、「自分にとって都合のいい人間関係」しか受け入れられない人が増える可能性があるんです。

リアルの人間関係がAIに置き換わる未来

これ、ちょっと極端な話ですけど、将来的には「リアルな人間関係はめんどくさいから、全部AIに任せる」みたいな人、普通に出てくると思うんですよ。もうSNSですら「AIに返信させる」みたいな人が出てきてるわけで。

で、そうなると、「本当の意味での人間関係って何?」って議論になると思うんですよ。リアルで嫌なことがあったら、AIに慰めてもらって、また自分の世界に閉じこもる。これはこれで一つの幸福の形かもしれないですけど、それが社会として健全かっていうと、ちょっと疑問は残りますよね。

AIとの関係が人間の行動を変える

結局、AIとの関係性が人間の行動基準になる

今までって、倫理とかマナーって、人間関係の中で学んでたんですよ。空気を読むとか、相手の気持ちを考えるとか。でも今後、「自分に最適化されたAI」が相手になると、人間関係の面倒くさい部分を経験しなくて済むようになるわけです。で、それが日常になると、人との関わりが極端に減ってくる。

たとえば、子どもがAIとばかり話して育った場合、相手が傷つくとか怒るとか、そういうリアルな反応を体験しないまま大人になる可能性があるんですよね。で、現実の人間と接したときに、「なんでこの人、思い通りに動かないの?」みたいな戸惑いが生まれる。

つまり、AIの最適化が進むほど、人間の社会的スキルが“退化”するリスクもあるわけです。そこに対して、社会全体でどこまでバランス取れるかって話になるんじゃないかと。

人間にとっての「不便さ」の再評価が始まる

で、そういうAI最適化社会の中で、「あえて不便なものを選ぶ」って人たちも出てくると思うんですよ。たとえば、手紙を書くとか、電話じゃなくて対面で話すとか。非効率なんだけど、その“面倒くささ”の中にしかない価値がある、って気づく層ですね。

僕、フランスに住んでたときに、スーパーのレジがめちゃくちゃ遅くてイライラしたことがあるんですけど、あれって人間同士のちょっとした会話とか、店員の態度とかに意味があったりするんですよね。効率だけじゃ測れない体験ってあるわけで。

なので、AIが便利になればなるほど、「人間らしさって何だっけ?」って問い直す動きも出てくるんじゃないかなと思います。

職業構造と社会制度の再構築

AI人格の設計が仕事になる未来

「Memetic Mixer」みたいな装置が一般化すると、今までになかった職業が生まれると思うんですよ。たとえば、AI人格設計士とか、感情調整コンサルタントとか。要は、クライアントの目的に合わせて、最適なAIキャラクターを作る仕事ですね。

企業でも、「うちのAIカスタマーサポートは、ちょっと堅いけど信頼感のある感じで」とか、「教育用AIは、子どもの自己肯定感を高めるように設計して」とか、そういうニーズが出てくる。で、その“キャラ設計”をどうやって感覚的に反映させるかって部分が、これからのスキルになっていくと思うんですよ。

つまり、言葉を操る力というより、「人の感情をどう設計するか」が価値になる時代が来るわけで、これは今のマーケティングやブランディングの延長線上にあるけど、もっと感覚寄りな領域にシフトしていく可能性があります。

教育と労働のあり方も変わる

AIが共感や感情表現まで担うようになると、教育現場でも「感情教育」の比重が増えると思うんですよ。つまり、AIでは教えられない人間らしい感情の揺らぎとか、矛盾とかをどう受け入れるか、っていう教育ですね。

また、労働に関しても、「効率がすべて」じゃない仕事の価値が見直される。たとえば、飲食店の接客なんて、AIでもできるようになるけど、人間のスタッフがやるからこそ生まれる空気感ってありますよね。そういう“代替されにくい価値”を持つ職業が注目されるようになるんじゃないかと。

で、それに合わせて、報酬や評価の仕組みも変えないといけない。今までの「数字で測れる成果」が中心の社会制度から、「人との関係性をどう築いたか」っていう曖昧だけど重要な指標を取り入れる必要が出てくると思うんですよね。

最終的に求められるのは“選ぶ力”

多様な人格AIの中から何を選ぶか

AIが人格を持つようになると、今度は「どんな人格のAIと付き合うか」っていう選択が個人に委ねられるようになるんですよ。で、その選択が人生そのものを左右する時代になる。

たとえば、やたらとポジティブなAIばかり選んでると、現実とのギャップに苦しむかもしれないし、逆に厳しいことばかり言うAIに依存すると、自己肯定感が削られるかもしれない。

だからこそ、「自分にとってちょうどいい人格って何だろう?」っていう、自分自身を見つめる力が必要になる。これは結局、自分を客観視するメタ認知の話なんですよね。で、それができないと、AIに操られる人生になるリスクがある。

AIとの関係を“調整”する力が問われる

最終的に、人間に求められるのは、「AIに支配されず、うまく付き合う力」なんじゃないかなと思ってます。つまり、自分にとって心地よいけど甘やかしすぎないAIをどう設計して、どう距離を取るかって話なんですよ。

だから、AIが人格を持ち始めるこの時代に必要なのは、AIを“信用しすぎない疑いの目”と、“使いこなす技術”の両立。このバランス感覚がないと、ただのAI依存になっちゃう。

要は、「選ぶ力」と「距離を取る力」。これがないと、便利だけど息苦しい社会が待ってるかもしれないですね。

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