量子AIが奪う未来の仕事と人間の生存戦略

物流自動化

量子×AIで物流業界が劇的に変わる未来

人間の仕事が「意味」を問われる時代に突入

大日本印刷とBIPROGYがやってる「量子技術とAIの活用で物流業務を効率化する」って話なんですけど、これ、結局のところ「人間がやらなくていいことは機械にやらせましょう」って方向なんですよね。で、量子アニーリングとかAIを組み合わせることで、倉庫内のピッキング作業の順番とか移動ルートをリアルタイムで最適化するらしいんですけど、要は「人間より頭いいAIが考えたルートで働け」って話なんですよ。

で、作業者の移動距離が29%減って、すれ違い回数も44%減って、作業時間も6%ぐらい短くなったらしいんですけど、それってつまり「もっと効率よく働け」ってことで、逆に言うと「余分な人いらないよね」って流れになってくるんですよね。

つまり、人間がやってたことの大半が「非効率」だってばれ始めてるんですよ。で、その非効率を排除したら、残るのは「人間がやる必要のある仕事って何?」って問いなんですよ。

単純作業の価値はゼロに近づく

倉庫でピッキングしてる人って、別に専門的なスキルがいるわけじゃないですよね。箱を取って、移動して、並べるだけの話。で、それを効率化するって話は、逆に言えば「その程度の作業なら、AIとロボットで十分じゃん」ってことなんです。

昔は「手作業に価値がある」とか言ってた人もいたけど、現実問題としてコスト削減と効率化を求められる現場では、「人がやるより速くて正確ならそれでいいじゃん」ってなるのは当たり前なんですよ。

これが今は倉庫だけの話かもしれないけど、そのうちスーパーの品出しとか、清掃作業とか、もっと広がっていくと思うんですよね。で、やがてはレストランの配膳とかも全部ロボットがやるようになる。すでにそういう店、ありますし。

で、そうなると、単純作業で生活してた人たちは職を失うわけです。じゃあ、次に何するの?ってなると、また別の非効率な場所に行くんだけど、そこも数年後には自動化されてるって流れが止まらないんですよ。

AIとロボットが支配する現場と、その先にある未来

労働の「合理化」が人間を追い詰める

DNPがやってるAMR(自律走行搬送ロボット)との連携っていうのも面白くて、人間とロボットが協力して作業するって、一見「共存」っぽく見えるんですけど、実際にはロボットが主導なんですよ。ロボットが作業ルートを決めて、人間はそこに従うだけ。つまり、ロボットが監督者で、人間が作業員みたいな構図になっていくんですよ。

で、それがどんどん進んでいくと、最終的には「人間、いらなくない?」って話になる。ロボット同士が勝手に連携して作業できるなら、人間が間に入る理由がない。むしろ邪魔だって話にもなる。

この流れが物流だけで終わるかというと、絶対終わらないですよね。建設現場でもドローンとAIで測量から資材運びまでできるようになってきてるし、農業も自動収穫機が普及してきてるし、病院でも看護ロボットが導入され始めてる。

で、結局のところ、「人間の肉体労働」っていうのは、どんどん意味を失っていくわけです。

「働くこと」の再定義が求められる時代

じゃあ人間は何をするのか?って話になるんですけど、「クリエイティブな仕事」とか「人間らしさが求められる仕事」ってよく言われるんですよ。でも、その「人間らしさ」って、結構あいまいで。感情に寄り添う仕事とか、教育とか、介護とか、言葉ではきれいに言えるんですけど、これも結局AIが学習して代替できる可能性はあるんですよね。

教育の現場ではすでにAIチューターが導入されてたり、カウンセリングでもAIボットが導入されてるし。結局、そこも「コストと効率」で判断されるなら、「AIでいいじゃん」って話になっちゃう。

だから、「仕事とは何か」「人間が社会にどう貢献できるのか」って、根本的な問いに向き合わされる時代が来てるんですよ。で、そのときに、「好きなことを仕事に」とか「自分らしく働く」とかって言葉が空回りする可能性がある。

要は、「人間らしさ」って具体的に何?って話を、社会全体が真剣に考えないといけない段階に来てるんじゃないかなと思うんですよね。

社会構造の変化と新しい「格差」の始まり

技術を使いこなす人と使われる人の二極化

量子技術とAIが物流現場に導入されて効率化が進んでいくと、それを「使う側」と「使われる側」に社会が分断されていくと思うんですよ。要は、量子アニーリングとかAIアルゴリズムを理解して、設計したり運用できる人たちはどんどん価値が上がっていく。でも、それを「ただ使われる」側、つまり指示された通りに動くだけの人たちは、価値がなくなっていく。

で、この格差って「勉強してスキルを身につけましょう」ってレベルの話じゃないんですよね。AIに使われるっていう構造ができちゃうと、どれだけ努力しても追いつけない人は出てくるし、そもそも努力する余裕がない層もいる。だから、教育格差がそのまま経済格差、そして最終的には「AI社会での生存権の有無」にまでつながる可能性がある。

結局のところ、技術が進めば進むほど、社会全体の効率は上がるけど、「みんなが幸せになるわけじゃない」っていう現実をどう受け止めるかが問われる時代なんですよね。

ベーシックインカムが現実になるかもしれない理由

仕事が減っていくなら、「生活はどうするの?」って話になりますよね。で、そこで出てくるのがベーシックインカム。これ、今はまだ夢物語みたいに言われてるけど、実際に物流、製造、サービス業とかで人間の仕事が激減していくと、働きたくても働けない人が大量に出てくる。で、その人たちを放置すると、社会が不安定になる。

だったら、最低限の生活費を国が配ることで「働かなくても生きていける仕組み」を作る方が、結果的にコストが安いって考える政治家や企業が出てくると思うんですよね。

今の時点では「働かざる者食うべからず」って考えが強いですけど、そのうち「働きたくても仕事がないんだから、仕方ないよね」って風潮が強くなる。で、社会の価値観が少しずつ変わっていく。

ただ、ベーシックインカムが実現したとしても、それはそれで「どう生きるか」が個人に問われる時代になると思うんですよ。つまり、「仕事しなくても生きていけるけど、じゃあ何するの?」っていう人生の選択を、誰もが迫られる時代。

人間の価値の再定義と、創造性の時代へ

創造性と共感力が最後の砦になる可能性

効率化が極まった世界で、人間が唯一勝てる可能性があるのが「創造性」と「共感力」なんですよね。たとえば、絵を描くとか、小説を書くとか、ゲームを作るとか、そういう「ゼロから何かを生み出す力」っていうのは、AIも苦手なんです。

もちろん最近はAIも絵を描いたり小説を書いたりしてますけど、それでも「人間の気持ちに刺さる作品」っていうのは、まだ人間に優位性がある。つまり、「心が動く体験」を作れる人が、これからは評価される時代になると思うんですよ。

で、それってめちゃくちゃ面白い時代なんですよね。別に大学出てなくても、プログラミングできなくても、面白い発想を持ってる人や、人を楽しませる才能がある人が、AI時代の勝者になれる可能性がある。

ただ、それって裏を返せば「自分から動かないと何も始まらない時代」でもあるんですよ。今までは「会社に入れば安定」とか「真面目に働けばそれなりの生活」って保証があったけど、それが全部なくなる。だから、自分で考えて、自分の頭で判断して、自分の力で動ける人が生き残る時代になるってことなんですよね。

「働かない自由」と「自分で選ぶ責任」

未来の社会って、働かなくても生きていける可能性があるんですよ。でもそれって、裏を返せば「自分の人生をどう生きるかを全部自分で決めなきゃいけない時代」になるんですよね。

要は、誰かに言われた通りに働いて、言われた通りに生活するんじゃなくて、「自分は何が好きで、何をしたくて、どういう人生を送りたいのか」って問いと向き合わなきゃいけなくなる。

で、それを考える力がない人は、「何もできない、何もしたくない、でも生活だけはしたい」って状況になって、社会から孤立していく可能性もある。だから、これからは「自分で選ぶ力」っていうのが、今まで以上に重要になると思うんですよ。

結局、「AIが仕事を奪う時代」っていうのは、「自分で人生を設計しなきゃいけない時代」でもあるってことです。

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