AIとインフラ投資で変わる「働かない社会」
要は、日本の経済って「人手ありき」だったんですよね
日本って、今まで「人手」が前提で経済が回ってたんですよ。サービス業とか見ても、やたら丁寧で、コンビニでもスーパーでも「人がいるのが当たり前」っていう文化。でも、それってめちゃくちゃコストがかかるし、人口が減っていく中で、もう持続可能じゃないんですよね。
で、今回マイクロソフトが日本に4400億円ぶっ込んでAIとクラウドのインフラを整備するって話なんですけど、これってつまり「人手いらなくね?」っていう方向への大転換なんですよ。AIでできることは全部自動化しようっていう流れ。
で、これがどう未来に影響するかっていうと、まず「働かない人が増える社会」になるんですよね。いい意味で。
つまり、労働の意味が根本から変わる
AIが普及して、クラウド環境でどこからでも業務ができるようになって、人間のやるべき仕事って「人間にしかできないこと」だけになるんですよ。だから、事務作業とかルーチンワークって全部AIに任せて、人間は「判断」や「創造」みたいなところにシフトしていく。
でも、そういう仕事ができる人って限られてるし、全員がクリエイティブになれるわけじゃない。そうなると「働かない方がコスパいい」って層も出てくるんですよね。ベーシックインカム的な仕組みも、そのうち議論されると思いますよ。
要は「働かなくても生きていける社会」をどう作るか、っていうフェーズに入ってるってことです。
自治体とAIの親和性が高すぎ問題
区役所の窓口とか、AIで十分じゃないですか?
東京の港区とか世田谷区でAI導入が進んでるって話ですけど、これめちゃくちゃ合理的なんですよ。住民票とか戸籍の証明書の発行とか、全部AIと機械で済む。人間がやる必要ないんですよね。
で、区役所に並んでる人たちって、ほとんどが「紙の手続き」に縛られてるだけなんですよ。そこをデジタル化するだけで、職員も楽になるし、住民も時間取られない。つまり、みんなが得する。
こういうのって、地方自治体の「仕事の見直し」にもつながるんですよ。今までは「人を増やして対応しよう」だったのが、「システムで回そう」に変わる。それによって税金の使い方も変わるし、無駄な予算が削れる。
デジタル庁の本気度が問われるタイミング
で、日本のデジタル化って、正直遅れてるんですよ。マイナンバーのゴタゴタとか見ても、「本当にやる気あんの?」ってレベル。でも、ここでマイクロソフトみたいな外資がガチでインフラ整えてくれると、話は別です。
AIって、使い方次第で自治体の運営そのものを変えるんですよね。職員の人件費が抑えられて、対応の質も安定する。感情的にならないし、間違いも少ない。つまり、AIの方が「優秀な職員」になれる可能性がある。
要は、「役所がロボットで動く未来」が普通になるってことです。で、それをどう社会が受け入れるかって話ですね。
産業界の変化と「人間の居場所」
製造業でAIが主役になる時代
トヨタとかクボタとか、もう製造業の大手がAIガンガン導入してるじゃないですか。これってつまり、現場の職人技とか経験則をAIが再現できるようになってきたってことなんですよ。
で、ロボットとAIで製品の品質も安定するし、人件費も抑えられる。そうなると、今まで「ベテランがいないと回らない」って言われてた現場が、普通に若手とAIだけで動くようになる。これ、相当大きな変化なんですよ。
人間の役割って「教えること」から「設計すること」に変わってくる。どういうフローにするか、どういうロジックで判断させるか、っていう設計力が問われる社会になる。
要は「現場の知恵」は奪われるけど、効率は上がる
でも、そこで問題になるのが「人間の居場所が減る」ってことなんですよね。熟練工の経験がデータ化されて、AIが再現できるなら、その人いらないじゃんってなる。
で、再就職しようにも「AIに負けた人材」ってレッテル貼られると、居場所がない。だから、AIに負けない分野を早く見つけてスキルをつけないと、取り残される人が増えるんですよ。
結局「人間の価値」っていうのが再定義される時代になってるんですよね。何ができるか、じゃなくて「何を生み出せるか」が問われる社会になるってことです。
サービス業の変革と「接客の終焉」
コンビニや飲食店の人間接客、もういらなくないですか?
日本ってやたら接客にうるさい国で、丁寧さが美徳みたいに思われてるんですけど、実際のところ、それって非効率なんですよね。コンビニで「いらっしゃいませ」って言われるの、必要ですか?商品買ってるだけなのに。
AIが入ることで、そういう「意味のない接客」が減っていくと思うんですよ。レジも全部無人化されて、顔認証とかで決済完了。飲食店もタブレット注文+ロボット配膳が標準になる。
つまり、「人間によるサービス」が価値じゃなくなる時代になるってことです。要は、接客のスキルが評価されなくなるんですよ。だってAIの方が早いし、ミスしないし、文句も言わないし。
人との関係を求める人間が、逆にプレミアになる
ただ、それでも「人と話したい」とか「人のぬくもりがほしい」っていう層は一定数いるわけで、そういう人たちのために「高級接客」みたいな分野が生まれるかもしれない。
要は、接客業が「特別な体験」として成立するようになる。マッサージや旅館、会席料理みたいなジャンルでは、人が接客すること自体が価値になる。そういう方向に淘汰が進むと思うんですよね。
だから、全体としては人間の接客は減るけど、逆に「ちゃんとした人による接客」はプレミアム化して残る。二極化が進むって話です。
教育とAI、子どもに必要な能力が変わる
AI時代に「暗記型教育」やってる場合じゃない
学校教育って、未だに「知識の詰め込み」重視で、テストで点取れるかどうかが評価軸になってるじゃないですか。でも、AIが全部答え出してくれる時代に、そんなことやってても意味ないんですよ。
今後必要になるのは「質問する力」とか「情報を使って何かを生み出す力」なんですよね。要は、AIに任せる部分と、自分でやるべき部分を見極めるスキル。
例えば、AIが作った文章を読んで「どこが間違ってるか」を判断できる力とか、「なぜその答えになったのか」を説明できる力。そういうところが教育の中核になるべきなんですけど、日本の教育現場ってそういう変化に対応できてない。
教育格差はますます広がる
で、親がちゃんと時代の変化に気づいて、子どもに「使えるスキル」を身につけさせてる家庭はどんどん先に行く。でも、旧来型の教育に頼ってる家庭はどんどん取り残される。
この差って、すごく大きくなると思うんですよ。AIの使い方一つで、勉強も仕事も効率が全然違ってくる。でも、それに気づかず「手書きでノート取るのが大事」みたいなこと言ってると、子どもが不利になるだけ。
つまり、教育格差=情報格差って時代になってるんです。家庭や学校が時代についてこれるかどうか、それが将来の収入とか生活の質に直結するって話。
AI社会における「幸せ」とは何か
働かなくていい社会って、本当に幸せなんですか?
AIのおかげで、働かなくても回る社会ができるのは確かなんですけど、じゃあ「それが幸せか?」っていうと、ちょっと疑問なんですよね。
働くことって、生活費を稼ぐだけじゃなくて「社会との接点」でもあるわけで。仕事がなくなると、毎日やることがなくて、誰とも関わらなくなって、精神的にしんどくなる人も出てくると思うんですよ。
要は、ベーシックインカムが整ってても「生きがい」や「目的」が見つからない人が増える。だから、仕事に代わる「役割」や「承認の場」が必要になるんです。
趣味が仕事になる時代の到来
で、そうなると「趣味で生きる人」が増えるんですよ。YouTubeやXで自分の好きなことを発信して、それが共感を呼べば収入にもなる。つまり、「好きなことに集中できる社会」になっていく。
ただし、全員がインフルエンサーになれるわけじゃない。だから、そこでもやっぱり格差は出てくる。何をやっても共感を得られない人は、「誰にも見られない、何も生まれない日々」を過ごすことになる。
つまり、働かなくていい社会になっても、「意味のあることをしている」と感じられない人にとっては、逆に不幸になる可能性がある。AIで効率が上がるからこそ、「人間の幸せとは何か」がもっと問われる時代になるんですよね。
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